フルート三昧で配布するミニ新聞に掲載された気ままなコラムです
Vol.1〜Vol.6 [ Vol.7〜Vol.12 ] Vol.13〜Vol.18 Vol.7:なぜヴァイオリンの曲なのか Vol.8:試験というもの Vol.9:音楽を楽しむか、音響を楽しむか Vol.10:クラシックって? Vol.11:わくわく、ヘンデル Vol.12:スケジュールと楽譜
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−なぜヴァイオリンの曲なのか−
本日演奏される曲目は、本来ヴァイオリンで演奏されるか、編成にヴァイオリンを伴う曲です。どれも名曲中の名曲でフルートでもよく演奏され、今日ではフルートの重要なレパートリーとなっています。
1.古典時代(ベートーヴエンやモーツァルトの時代です)以降、近代になるまでフルート音楽が極端に少ない。
2.曲想がフルートに適している。
3.技術的に無理がない。
−ヴァイオリンは素晴らしい、でもフルートが好きだ−
ヴァイオリンに限らず弦楽器たちは音楽的に非常に豊かですね。表現力があり、魅力的な音色も持ち合わせています。単旋律でも重音奏法でもインパクトがあり堂々としています。我々管楽器奏者達は、音楽の勉強に弦楽器や声楽をよく聴きます。音色の変化やヴィルトゥオーゾな演奏スタイルは大いに参考になります。 |
−試験というもの−
よほどの自信とそれを裏付ける実力がない限り試験というものが好きだと言う人はいないでしょう。はい、私は平均的な凡人ですので試験は嫌いです。広い意味でコンクールも試験だと言うことが出来ます。しかし、やりがいのある事だと思うこともできます。何せ試験官(審査員)は真面目に自分の演奏に耳をかたむけてくれるわけですから。真面目な態度で音楽に向かい努力したならば、きっと報われるはずです。また、そういう努力を怠った場合にはプロとしてやってゆくのが難しいかも知れません。なぜなら我々プロの演奏家が対面するのは(こういう言い方が許されるならば)”聴衆”というこの世で一番厳しい目を持った”審査員”だからです。そう、演奏会も”試験”的要素の否めないイベントだと言うことが出来るでしょう。そう考えると演奏会をするのが恐くなってきますが、先日テレビのインタビューでチェリストのヨー・ヨー・マさんが「もうみんな”NO(出来ない)”と言うのをやめようじゃないか。どんな苦難があっても”YES,YES”と言っていこう」という意味のことを言っていました。私は思わずテレビに向かって”その通り!”とつぶやいてしまいました。
−演奏の善し悪しとは−
誰もが感動する音色と音楽性を持ち、完璧なテクニックで難曲をいとも簡単に演奏する・・・演奏家全員の夢です。でも、人間である以上そうはいきません。機械ではないのですから間違えることだってあります。ただ、当たり前のことですが、聴きに来て下さったお客様に責任を持つことは重要かつ不可欠です。皆さんに楽しんで貰え、音楽がもっと好きになって貰えるような演奏が出来るよう努力することも。私は決して自分自身のことを素晴らしい演奏家だとは思っていませんが、上記の努力だけは忘れないように気をつけています。特に欧米のコンクールなどでは、演奏を間違っても上位入賞する例が多く見受けられます。チェリストの藤原真理さんが、あるコンクールでチャイコフスキーの変奏曲を演奏中、変奏の順番を間違えてあわててしまった、というエピソードを伺ったことがあります。それでも上位入賞を果たされた、つまり審査員は彼女の演奏に感動した、そんな演奏家になりたいと希っています。
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−音楽を楽しむか−
先日演奏の仕事で札幌に行ってきました。札幌交響楽団首席フルート奏者の友人とサロンコンサートを催しました。札幌・真駒内にある、小さな洒落た喫茶店でのコンサートは20人も入れば満席のところに30人以上のお客様がみえました。演奏している目の前にお客さんが座っています。それこそぶつからないように注意しながらの演奏は、スリルでさえあります。足部菅が向いている方向に座っているお客さんには、直接的で意外なほど大きなフルートの音が耳を襲います。と同時に、奏者の息遣いもよく分かるので、緊張感や力の入れ方などバレバレなのです(^_^;)。まぁ、それもスリルがあって嫌いではありません!
このような狭い会場でのコンサートは、お客さんは”音”を肌で感じ、身体全体で”音楽”を楽しんで下さいます。そして、演奏者からのメッセージに対するお客さんの反応の良さも楽しみの一つ。会場(部屋と言うべきか・・・)全体が楽しさ、熱気、友好的なムードで充満しています。いやぁ、この感じってなかなか味わえるものではありませんよ。特に大きなホールでは。
友人「この二重奏は簡単そうに聞こえますが、実は大変な難曲なのです、さて、演奏いたします。」
この間の良さ、やめられませんね、サロンコンサート。
−音響を楽しむか−
私が主催する演奏会「室内楽シリーズ」は昨年まで150席という小ホールで開催して来ましたが、今年より当いずみホールのAホールで開催することにしました。もちろん、以前からのお客様も大勢お見えになりましたがその感想はまちまちでした。
・響きが良くて心から音楽を楽しめた
難しいもんですねぇ。前者は比較的新しいお客様が中心のご意見、後者は昔からのお客様が中心のご意見です。
皆様はどんな事を求めてこの演奏会にお出かけですか?
皆様もぜひ一緒にドキドキしてください!
M・K
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−クラシックって?−
普通クラシック音楽というと、広くは本日演奏されるような、バッハから前衛的な現代音楽を指しますが、狭い意味ではベートーヴェンを代表とする古典音楽を指します。古典音楽の一番の特徴は、曲の構成、形式がしっかり明確であることと、音楽の基礎的な理論が確立された時代であることです。
ベルリオーズの作品を除き、他はすべて今世紀の作品です。20世紀の音楽と聞くと、今我々がまさに生きている時代なのでなにやら身近に感じてしまいますが、ドイツ、フランス、イタリアと、国も違えば作曲された年齢も親子以上の差がありますので、同じ今世紀の作品とは言え作風・内容は随分と違います。当たり前なんですけどね。
父親に優れた音楽教師を持つライネッケは、その家庭環境のためか12歳で楽壇に仲間入りを果たしています。メンデルスゾーンやシューマンのもとで勉強し、後にピアニスト・指揮者として成功、ライプツィヒのゲヴァントハウスの指揮者になります。この辺を聞くと「歴史中の人」なのですが、ゲヴァントハウスの後任が、往年のクラシックファンには馴染みの深いニキッシュとくると、歴史から飛び出して時代を共有したかのような錯覚にとらわれてしまいます。人生の大半を「ロマン派」の時代に過ごしたライネッケの作風は、20世紀の音楽とはいえ、その音楽はロマンティックで甘い香りが漂うのです。
−現代音楽って?−
本日の作曲家の中で、ライネッケの対極に位置するのがベリオです。
セクェンツァは、古典とちがった鋭い発音、特殊な現代奏法、俊敏なリズム感を要求されたしかに難曲ではありますが、主題があり、その主題が発展し、主題の再現を経て終結部がある、という構成は、ベートーヴェンと何ら変わるところがありません。この曲も古典同様、難しい事は抜きにしてお楽しみいただければと思います。「ネオ・クラシック」ですので!
M・K
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−わくわく、ヘンデル−
現在1月14日夜、このコラムを書いています。そう、明日は「フルート三昧」の本番です。しかし天気予報は雪。先週の大雪と同等以上との予報。はたしてこの新聞を何人の方が読むことが出来るでしょうか・・・不安です・・・。
さて気を取り直し、明日の演奏に思いを馳せてみます。演奏会でヘンデルを演奏するのは久しぶりのこと、日頃は私の生徒さんが良くヘンデルをやるので接してはいましたが、自分で演奏するとなるとまた別の感慨があります。レッスンで生徒さんにうまく伝えられなかった情感や音楽を今度は自分で実践するのですから。
久しぶりのヘンデルはとても新鮮です。躍動感があり、その音楽の中にはまさにヘンデルが生きているのです。今日演奏するソナタは、概ねロンドンで作曲されたようです。彼にとってロンドンは、その活動における重要な場所でしたが、冬は今の東京よりも寒く不便な時代にあって今では想像できないような不便な生活があったはずです。そんな中で書かれた音楽のみずみずしいこと!きっとヘンデルは社交性と機知に富んでいたに違い有りません。素晴らしい作品に出会えたとき、私はいつもその人間がどんな人だったのか想像してしまいます。そして一緒に(普通は酒を酌み交わす、でしょうが・・・)食事をしたいなぁ、などと思ってしまうのです。
−装飾はバロックの命−
少し専門的な話を。
バロック時代は現在のように音楽をするときの役割が細分化されていませんでした。誰でも作曲をするし、2つや3つの楽器を演奏するなんて当たり前の時代です。それは作曲された曲にも端的に現れています。つまり、作曲家は演奏家にその曲を完成させる最後の部分をとっておいたということなのです。楽譜に書かれている音符は未完成です。演奏家は、演奏するときに即興で音符を加え完成した曲として演奏したのです・・・つまりそれが装飾なのです。作曲家はケーキのスポンジしか作らない。演奏家は生クリームとフルーツやチョコレートを持ってきてデコレーションする。甘いクリームの人もあればそうじゃない人、苺を可愛く飾る人、何種類ものフルーツを飾る人、様々です。ですから二度と同じ演奏は聴けません。さて皆さん、今日のケーキは素敵な味がしますか?
M・K
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−スケジュールと楽譜−
皆さん、整理整頓が苦手な方、挙手をお願いいたします。おや、ずいぶん沢山いらっしゃいますね!!(←願 望)
我々音楽家にとって、当然ですが楽譜というものはとても大切です。そして、年々増え続けます。持っている楽譜でも、過去の書き込みがじゃまになったり、使いすぎてぼろぼろになったりして買い換えることもあります。とにかく増え続けるのですね。当然練習室のスペースを圧迫します。高さ2メートル30幅1メートルの本棚は半分がピアノの楽譜でぎっしり。残り半分がフルートの領域なのですが、当然入りきれません。するとどうなるか。こうなります。↓(恥)
書棚に入りきらない楽譜はご覧のようにピアノの上に山積み。この写真では見えませんが、ピアノの脇にあるテーブルの上も山積みです。こうなるとお目当ての楽譜を探すのも困難を極めます。それには 勘 という、とても高度な能力が要求されます。 −また言ってる、いつも同じですネ。− 上の言葉、メンバーの志田さんや生徒さん達から 日常的に 言われます。楽譜を使うのはクライスの演奏会だけではありませんから、一番最後に使った楽譜を上にのせるため、2〜3日もすると以前使った楽譜は行方不明。それに時々楽譜が 表層雪崩 を起こし益々ややこしくなります。レッスンの時に生徒さんがやっている楽譜を探そうにもそう易々とは見つかりません。「先生、そこ、この間もさがして無かった場所ですよ」といわれますが、もう事情は変わっているのですね。結局あきらめます。 志田さんとの練習の時にも「まあーた探してる。いつもなんだからぁー」と 数少ない私の弱点 を楽しそうに指摘する。特に今回は先々の予定まで詳細に決定し楽譜を配布済み。今日この演奏会が終わったら次の演奏会の練習なのですが、さて、楽譜、どこにあったっけ? M・K |
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記録 後記 |
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